よーだのあーだこーだ

一癖も二癖もある私が感じたこと考えたことを綴るブログ

おじいちゃんとのお茶会に行かなかった私 ~お説教の後考えたこと~

お説教されて何も言い返せなかった私。


このような状況にならないようにするにはどうすればよかったのか、これからはどうしていったらよいのかを考える。

 

まず始めに一応捕捉しておくと、洗濯物を取り込んだり、お風呂掃除をしたりというような感情を伴わない単純作業は最近は出来る場合が多くなってきた。しかし、あまり会うことがない親族に会ってその場を楽しそうに過ごすのはそれの何十倍もの気力を必要とするものなのである。うつ病は気持ちのやる気とか楽しい気持ち、うれしい気持ちを無くしてしまう病気なので感情を高ぶらせなければならないことはものすごくエネルギーを使うのである。

 

それをふまえて、まずは「認識のズレをどうするのか」ということである。


母としてはお茶会は「もう長くない祖父に『楽しい思い出』をあげるために絶対に全員揃ってお茶会を楽しい雰囲気で盛り上げなければいけない最重要課題」という位置付けだったが、私の認識としてはお茶会の前の、母や妹の言動から「とりあえず祖父の元気なうちに、みんな(主に息子たち)普段なかなか集まれないからこの機会に集まれる人でお茶でもしませんか」というゆるーい会というものであった。

 

両者の参加義務の強さの違いは大きなものである。したがって、親から言われた「家族で参加する用事」の場合は「どれくらい大事なものなのか(参加しなければいけない度はどのくらいか)」で、「私が具合が悪くて普通に支度が出来ない状態である場合はどうするのか(私はいかなくていいのかどんな状態でもとりあえず行けばいいのか)」をよくよく聞いておかなければならないだろう。

 

次に、「あさって出かけられるくらいなら今日の用事にも出られたんじゃないの?」という問い

(そしてたぶんお風呂洗ったり洗濯物取り込んだり出来るならというのも含まれるのではないかと思うのだが)

 

これには簡単な家事をすることと、人に会いその場を楽しそうに過ごすことの私が感じるしんどさの違いを母に説明しなければならないだろう。

その説明をもちろんお説教のその場ですればいいのだろうが、怒られている状態では思考が止まってしまいとりあえずその場を収めることに意識が集中してしまい、なかなかうまく言えない。後からでも母の機嫌が良さそうなときに話をしてみることは出来るだろう。後だしじゃんけんのようで申し訳ないが言いたいことは言おう。

 

最後に、根本的な解決策として「寝起きの状態でも出掛けられるようにあらかじめ父方の親族に私がうつ病であることを伝えておく」というものもある。

 

「今日は具合が悪いので、テンション下げ下げで格好もクチャクチャですいませーん(*´∀`)テヘペロ」で済むのならそれに越したことはない。(こんなテンションなら元気なのかもしれないが)だが、祖父母に心配をかけるのを承知で行った方がいいのか。

いや、祖父母には伝えない方がいいだろう。うつ病がどんな病気か伝えてもわからないだろうし、それを説明しても理解するのが大変であるだろう。そんな労力を費やすなら知らせない方がましだ。まぁ、知らせないでも多少格好がクチャクチャなことや無表情なことはあまり気にしないだろうと思うのでこちらはあまり問題はない。

 

しかし、問題は伯父家族である。私が伝えていないだけで、実はもう父から伝えているのかもしれないが、全く私の病気のことについて何も触れてこないのでおそらく伝えていないのではないかと思う。

そこで、伝えていない状態で格好がクチャクチャで無表情な私を見たらどうなるだろう?絶対に「どうしたの?」と聞かれるだろう。そのタイミングで「実はうつ病でさ…」と言ったら「あ、申し訳ない、そんな大変なときにわざわざ来てもらって…」と気を使わせることになる。

あるいは「そんなときにわざわざ来なくていいよ。空気悪くなるから。」という悪い印象を持たれるかもしれない。それを避けるために事前に伝えておくのがいいと思うが、相手がうつ病のことを知ってどう思うかということが問題である。

「ちょっと足を折ってしまって」と同じような受け止められかたであればいいのだが相手がうつ病をどのようにとらえているかによって伯父家族の私に対する印象も変わってしまうだろう。これは親に「(私がうつ病って)言ってみたら伯父家族はどう思うかな?」と聞いてみる他はない。

 

しかし一度、私がうつ病と伝えたことにより、私に対する態度を変えてしまった人もいる。会うことが多い母方の祖父母に伝えたところ祖父は「大変だったな」と言葉をかけてくれたが、祖母は「なにそれ?そんなことたいしたことじゃないでしょ?ちゃんとがんばらなきゃダメよ」と言ってきた。「うつ病」に対する認識のズレである。このようなことがあるので伝える相手は考えなければならない。

 

本当はこのようなことがないように、社会全体の「うつ病」に対する考え方が変わっていくのが一番いいのだろうが、現実にはまだ難しい。

 

とりあえず、この一件に関してこれからやるべき課題がわかったのはよかった。このようにもう一度考えることは新しいものの発見につながることがわかった。今後の変化に期待である。