よーだのあーだこーだ

一癖も二癖もある私が感じたこと考えたことを綴るブログ

自分が「これは嫌だな」と思うことを他人に伝えるとき

今日、テレビを見ていた。

 

一緒に食卓を囲んでいた家族は私の他に2人。その二人はどちらも見たい番組がなさそうだったので、私がチャンネル権(まだチャンネル権という言葉を使うのだろうか?)を得て私がリモコンを持ってテレビを見ていた。

 

突然だが、私はテレビを見るときは字幕を付けて見るのが好きだ(生放送の番組は除く)。番組独自のテロップが入り、字幕表示が多少画面の真ん中寄りになってしまっても字幕付きで見ることが多い。字幕付きで見た方が内容を聞き漏らさずにテレビを見続けることが出来るので「え?今なんて言った?」ということがなくなるからである。画面の絵よりも話の内容の方が重要だと感じるからではないかと思う。

 

それで今日も字幕付きでテレビを見ていたのだが、急に母が妹に「ねぇ、この字幕いる?」と聞いた。すると妹は「え、私は要らないけど(私)がつけたから……」という返事をした。

 私は仕方なく「あ、字幕見辛かった?ごめんね。」と言って字幕を消した。その後は普通に楽しくテレビを楽しんだ。

 

 ここに私は女子社会の「無言の圧力」の闇を見た。

 

なに言ってんの?こんなやり取り普通じゃん!と思う人が多いと思う。しかし、例えこのやり取りが日常的に使われているにしてもこれは普通の会話ではない。

 

まず、「ねぇ、この字幕いる?」という質問について。

母の「この字幕いる?」という質問には「私にはこの字幕必要ないんだけどな…」という気持ちが裏に隠れている。そうでない状態でこの問いを発することはないのではないかと思う。(例えば字幕をつけていること自体を不思議に思うのであればその時の問いは「どうして字幕をつけているの?」となるだろう。)

 

まぁ、他の場合のことはさておき「私にはこの字幕必要ないんだけどな…」と思ったときには普通「この字幕消してくれない?」というお願いが先に来るはずだ。それなのになぜ、自分の要望を言うのではなく、字幕が必要かどうかを母は聞いたのだろうか?

 

答えは、妹を味方につけるためである。

 

例えば、「私にはこの字幕必要ないんだけど消してもらってもいいかな?」という問いを発した場合を考える。私が字幕をつけた本人なので私が字幕が必要と感じているのは当たり前だが、食卓にもう一人いる妹もテレビの字幕を必要と感じていた場合は3人の内テレビの字幕が必要だと感じている人が2人になるため、多数決でテレビの字幕をつけたままになるだろう。

逆に妹もテレビの字幕を必要と感じていなかった場合は食卓にいる3人の内テレビの字幕を必要と感じていない人が2人になるため多数決でテレビの字幕は消される。

 この、妹の存在がテレビの字幕を消すか否かの決断を左右するのである。

 

ここに目をつけた母は、自分が声をあげることなく自分の要望を通すことを理由に、妹を味方に出来るかどうかを探るために字幕の必要性について尋ねたのである。妹が「私も字幕を必要としている」という返事が来れば何事もなかったかのようにそのままテレビを見ることになるだろう。しかし、妹が字幕の必要性を否定すれば、それはそのまま私に対する「字幕を消せ」という無言の圧力になる。

 

親から子への無言の圧力。それも「よく親の言うことを聞く」子どもに対する無言の圧力はこんなもので十分効果を発揮する。「そんなの、親に言われても自分の意見を通せばいいじゃないか」という人も多いと思うが、もし親が「字幕を消してほしいんだけれど」と言ってくれれば、私も「テレビの内容を把握するのに必要なんだ」と話すことができたと思う。しかし、問題は無言の圧力ゆえに相手の人は抵抗しづらいというところである。

 

これはコミュニケーションではない。強者から弱者への押し付けである。この事をわからずに、無意識のうちにこの押し付けをやってしまう人のいかに多いことか。私の母でさえやっているのだからその下の年代(ちなみに私の母は40代)や、私と同年代の人には馴染みあるものなのではないだろうか。

これは学校や部活、会社などの他人と関わる時に、より頻繁に使われるのではないかと思う。それが家庭内という最もコミュニケーションを取らねばならないところに持ち込まれたということ恐ろしいと思うのである。

 

 

 

もし、今このような自分の意見の通し方をやってる人がいたらその人はまず「無言の圧力」を使っているということだけでもわかってほしい。それさえ分かれば要望を通させてくれた人に感謝が芽生えるはずだ。それだけでも十分救われる。

 

今回はコミュニケーションをしなくなっている実例をこんな些細な出来事から導いてみた。多くの人は1度でも「?」と思う相手の言動があるのではないだろうか?それはコミュニケーションがなされておらず、「無言の圧力」が起きているからかもしれない。